「助けて」



冬の北海道、とある踏み切りで女の子が電車にはねられた。

女の子の体は電車との衝突の衝撃で、上半身と下半身が両断されてしまった。

救急隊員が現場に駆けつけたとき、あまりの凄惨な光景に女の子はすでに絶命していると思ったほどの大事故だった。

ところが、上半身だけになった女の子は、すでに虫の息であったのだが、かろうじて「助けて」と救急隊員に伝えた。

しかし、もう助かる見込みはないと判断した救急隊員は、女の子の体に遺体用の青いビニールシートをかぶせた。

厳寒の冬の北海道での出来事だったために、傷口が瞬間冷凍し、出血がほとんどなかったためにこのようなことがおきたのだ。



事故が起きたのは昭和10年5月30日のこと。

翌5月31日付の東京朝日新聞に掲載された記事には、この日の昼ごろ、東北本線赤羽駅の付近の線路上で女が自殺を図り貨物列車に飛び込んだのだが、

列車に轢かれ両足を切断されながらも死にきれず、病院に運び込まれたとある。

女性の意識は非常にしっかりしており、係官の質問にも明瞭な答えを返していたという。

女性は気丈に振舞い続けていたが、致命傷を負っていることには変わりはなく、事故から4時間余りが経過した後に息を引き取った。

 昭和10年に発行された『教育心理研究』10巻第6号によれば、彼女が即死しなかったのは、重い車輪によって血管を潰され、

結果的に出血が抑えられたからだったようだ。

この事故は現場に駆けつけた警官たちにも強い衝撃を与えたようで、ある警官は

「殆んど下半身を断ち切られた上半身のみが、動きもすればしやべりもする有様は、普通の人々が見れば、怪け物のやうにも感じられた事であらう」

とも証言している。