ある3、4歳の娘を連れた夫婦が東京ディズニーランド(以下TDL)に遊びに行き、楽しい1日を過ごしていた。
ところが、ほんの少しのあいだ目を放した隙に娘がいなくなってしまう。
困った二人はTDLの迷子センターへ出向き、係員に娘のことを尋ねた。
しかし残念なことに、娘は迷子センターには来ていないという。 二人は待つしかないと思った。
ところが、なぜかその係員は険しい表情を浮かべると関係各所に連絡をとりはじめ、TDLの出入り口を封鎖するように指示しだしたのだ。
ただ1箇所を除いて。
ただならぬ様子に不安になった夫婦を、係員はただ1つだけ封鎖しないでおいた出入り口に連れて行き、二人に対してこう告げた。
「いいですか、これからここにいて外に出ようとする子供を連れた人物をよく見張っていてください。
娘さんは、あるいは髪を染められているかもしれません。
服を着せ替えられているかもしれません。
よく見て、見逃さないようにしてください」
だんだん事情が飲みこめてきた夫婦は、わが子を見つけるために必至でそこを通る人々をチェックした。
ふと見ると、ある男性が腕に眠った男の子を抱えてゲートから出ようとしている。
二人はすんでのところで見逃すところであった。
何しろ、その子供は髪が短く切られているうえに男物の服を着ており、彼らの娘とは似ても似つかなかったからだ。
ところが、よく見るとその男の子は明らかに女の子向けのキャラクターが印刷された靴をはいている。
それは間違いなく、娘が履いていたものと同じ靴だ!
男はすぐにTDLの警備員によって取り押さえられた。
娘は薬を打たれ眠っていたが怪我などはなく、無事に夫婦の元へ戻ったのだ。
しかし、普通の遊園地であれば、迷子が一人出たくらいではこのような大げさな措置はとらないはずだ。
このTDLの手際のよすぎる対応には、やはり裏がある。
じつはTDLではこのような誘拐事件はかなり頻繁に起こっている。
かなり大規模な誘拐団が、TDL内で活動を繰り返しているのだ。
彼らは子供たちをさらうとその臓器を摘出し、それを臓器密売の闇ディーラーに売りさばいているのだという。
もちろんTDL側はそのことに気づいており、警察も動いているのだが、
そのことがマスコミに知られれば子連れの家族は誘拐団を怖れてTDLに寄りつかなくなってしまだろう。
そのためTDLは、ありとあらゆる手を尽してこのような事件が表ざたにならないようにしているのだ。
1996年の春頃、関東近辺の一部の地域で
“TDLで臓器売買を目的とした誘拐事件があった”
という噂が流れたことがあります。
もちろん、この噂は根も葉もないまったくの流言で、
新聞も直ちに事実関係を否定する報道を行ったため、噂はすぐに沈静化するだろうと思われました。
ところが、この噂は流布される過程で「誘拐未遂」というアメリカの古い都市伝説と結びつき、新たな生命を得てしまいます。
この「誘拐未遂」とは幼い娘(あるいは息子)を連れた母親がショッピングセンターへ行くが、
ちょっと目を離した隙に娘が行方不明になってしまう。
連絡を受けたセンターの係員はセンターの出入り口を1箇所を除いて全て封鎖し、母親に出口で待機させる。
娘は髪を染められ服を着替えさせられているが靴だけは変わっておらず、
そのため母親によって変装を見破られる・・・という物語で、
おわかりのようにTDLの伝説とほぼ同じ内容です。
(余談ですが、この「誘拐未遂」には行方不明になった娘が、トイレの個室の中で見つかるというバージョンがあります。
娘を探していたショッピングセンターの従業員が、
トイレの個室から聞こえるおかしな音に気づいて個室のドアをこじ開けると、
犯人の男が薬で眠らせた娘の服を着替えさせているところであった、というのがそのバージョンの荒筋です。
この「誘拐未遂」のプロットを手に入れたことでTDLの噂は単なる流言を超えた
“都市伝説”へと成長し、収まるどころかますます勢いを増していきました。
無味乾燥で曖昧であった噂話が、物語として完成することでより強い魅力と、
より強い真実味を手に入れてしまったからです。
このような噂は罪のないTDLに風評被害を及ぼすだけでなく、
小さな子供をもつを親を無意味に不安がらせてしまうため、かなり悪質なものといえるでしょう。
子供を持つ親に「子供から目を離すな」という注意を与えることと、
「子供が大勢さらわれているぞ」と脅すことは、
似ているようでいてまるで違うことなのですから。