ある所に美男美女の夫婦がいた。夫婦仲もよく、誰もがうらやむような理想のカップルだ。
妻が妊娠したことがわかったとき、二人の幸せは絶頂にあるかに見えた。
ところが・・・
「なによ、この子は!」
二人は生まれてきた自分たちの子供を見て絶句した。その子は両親とは似ても似つかない、おぞましいまでに醜い顔をしていたからだ。
二人は自分達の子供がこんな姿であることを知られないためにその子を家の中に閉じ込めて育て、
近所の人たちには病弱なので表に出ることができないと言ってその姿を隠しつづけた。
それまでは仲のよかった二人は、やがて子供のことを巡って喧嘩が絶えなくなる。
夫は「この子は本当は俺の子じゃないんだろう!」と言って妻を責め、
妻はこの身に覚えのない言いがかりにヒステリックにわめき散らすことで対抗した。
そんな日々が続き、やがて疲れ果ててしまった妻は全てはこの子がいけないんだと考えるようになり、殺してしまおうと決意する。
その子が6歳の誕生日を迎えた日のことだ。彼女はそれまでになかったような優しげな様子で我が子に接し、誕生日を祝って二人で旅行に出かけようと言った。
何もかもが珍しい、初めて見る外の世界。
子供はうれしそうにはしゃいで外の世界を満喫したが、その無邪気な姿も母親の殺意を変えることはできなかった。
やがて二人は大きな湖のほとりまでやってきて、そこで湖を渡るフェリーへと乗りこんだ。
船が湖の真中まで差し掛かったとき、子供はおしっこがしたくなったと母親に訴えた。
彼女は息子を連れてフェリーの甲板に出ると我が子を抱きかかえ、ここから湖に向かっておしっこをしなさいと命じた。
息子は言われた通りズボンのチャックを下ろし、湖に向かっておしっこをしはじめる。
彼女は素早く辺りを見渡す。
・・・大丈夫、誰も見ていない。
それを確認すると彼女はさっと手を離し、息子を湖の中へと投げ込んだ。彼女はそれから何食わぬ顔をして家に戻った。
夫は全てを了解しているようで、子供がどこへ行ったのかは何も聞かなかった。
二人は近所の人たちには息子は病死しました、生まれつき病弱だったものでと涙ながらに語って聞かせた。
それから1年がたち、妻は再び妊娠した。
また醜い子供が生まれるのではないか。
彼女はそう恐れながら子供を産み落としたが、その心配は杞憂に終わる。今度生まれた子供は、両親に似たとても可愛い男の子であった。
最初の子供の時と違い、二人はこの子を大切に育て、近所の人たちにも自慢の息子として紹介した。
それからたちまち月日はたち、2番目の息子も6歳の誕生日を迎えた。
この日、彼女は我が子と二人きりで旅行に出かけることにしていた。
今度の誕生日にはどこかへ旅行に連れていってと、息子にねだられていたからだ。
二人は車で各地を周り楽しい一時を過ごしたのだが、やがて車が大きな湖に差し掛かったとき、子供が突然「フェリーに乗りたい」と言い出したので、彼女は困ってしまった。
その湖とは、7年前に彼女が我が子を殺めたあの湖であったからだ。
しかし可愛い我が子の、それも誕生日のお願いだ。彼女は渋々子供に従い、二人でフェリーへと乗りこんだ。
フェリーが湖の真中に差し掛かったとき、子供は突然おしっこがしたいと言い出した。
彼女は子供を抱きかかえると、湖の中にしてしまいなさいと優しく言う。
子供はチャックを下ろしておしっこをしはじめると・・・突然彼女の方を降り返ってニヤリと笑った。
その顔はいつのまにか、七年前に殺したあの子の顔に変わっていた。
あまりのことに驚き卒倒しそうになった彼女に向かって、その子は追い討ちをかけるかのようにこう言った。
「お母さん、今度は落とさないでね」
類話に未婚のカップルが子供を産んでしまい、湖に投げて殺す。
やがて正式に結婚してから子供が産まれ、その子はちゃんと育てようとするのだが、
同じように湖に行った時に・・・というものもあります。
この話は昨日今日生まれた新しい話ではなく、非常に古くから形を変えて語り伝えられてきた物語です。
まず直接のルーツと思われる話としては明治時代、
「怪談」などの著作で有名なラプカディオ・ハーン(小泉八雲)が
「知られぬ日本の面影(1894年)」の中に書き残したものがあります。
それは出雲に住んでいた百姓の物語で、
家が貧しい為に子供を育てることができず、産まれた子供を6人まで次々と川へ捨てる。
七人目の子供が産まれたころには生活が少し楽になってきたので、
その子は育てることにする。
ところがある月夜の晩、百姓が子供を抱きながら「ああ!今夜は珍しいええ夜だ」と言うと、
子供が「お父ちゃん、わしを最後に捨てた夜も、ちょうど今夜のような月夜だったね」と答える、
というものです。
ではこの話がオリジナルかといえばそうでもなく、
子殺しの原型と思える物語はさらに古い民話へとさかのぼることができます。
その民話の名は「こんな晩」。
別名「六部殺し」ともいう、古くからほぼ日本全国に伝わる有名な民話です。
その内容はというと、旅の六部(六十六部の略称で、日本六十六ヶ国を巡り有名な寺社に
「法華経」一部を奉納することを目的とする廻国の巡礼者)がとある農家に一夜の宿を求めると、
その家の主人である百姓が六部の持つ金子に目が眩み六部を殺害してしまう。
やがて百姓は六部から奪った金で一財産を築き、非常に裕福になる。
そのころ百姓に長男が生まれるが、
この子は産まれつきの唖(おし)で全く口が利けない。
ある日の晩、子供が気難しそうな顔をしているので小便かと思い、
百姓は子供を外へ連れ出す。
するとその子供は父親を睨みつけ、「お前がわしを殺したのも、ちょうどこんな晩だったな」と呟く。
その子供の顔は、殺された六部の顔そっくりに変わっていた・・・
というものです。
我々が新しい話と思っているものが、実は非常に古くから語り伝えられて来たものであったというのはよくあることです。
この「今度は・・・」は極めて明確にそのルーツを辿れますので、
現代と過去の民話の繋がりを示す格好の事例であるといえるでしょう。